先日、公開中の『レオポルトシュタット』を劇場で観てくださった青山学院大学教授の狩野良規先生に、興味深かった点などを伺いました。以下は、狩野先生が気さくに感想としてお話しくださった内容です。「なるほど」と思う部分も多く、面白かったのでNTLiveをご覧になってくださった皆様にシェアしたく、まとめました。未見の方には分かりづらい箇所、またネタバレ的な内容もあるかと思いますが、ご容赦ください。
(以下、狩野先生を「狩野」(敬称略)、聞き手(カルチャヴィル中村)を「中村」とします
中村)劇場に足を運んでいただき、ありがとうございました。
狩野)先週、シネ・リーブル池袋で見てきました。2回上映なのに、いつものNTLiveの上映より混んでいました。日本にも、こういう作品をたくさん観てくれる人がいて、そして評判も良いのは、とても心強いですね。
中村)こういう作品というのは?
狩野)この作品は、ある意味で「イギリスの現代人の無知を描いている」とも言えるでしょう。
この作品のラストで、ストッパードの分身でもあるレオが自分の出自について何も知らないで、ノーテンキなことをしゃべる。ストッパード自身も50歳くらいまで、自分の出自を意識していなかったというから。ユダヤ系の移民とはいえ、イギリス人と自負しているレオの無知ぶりを揶揄し、それをイギリス人の観客が見て悠々と笑っているという、まさに“イギリスの芝居”ですね。かの国の「諷刺喜劇」の伝統が実感できると、より面白みがわかる本作を楽しめるお客さんが、日本にもたくさんいるんだって感じて、嬉しくなりました。
中村)実は狩野先生は、本作について観る前にはそこまで期待感はなかったんですよね?
狩野)正直、ユダヤの年代記っていうのは、デジャヴュ感があって、僕はあまり期待していなかった。またか、って感じね。
でも、チェコ出身のユダヤ系のストッパードが、ちょっとまげて、オーストリアの話にしていて、なぜだろうと思いました。そして“オーストリアの偽善”ってのが新味だよなあ、と。オーストリアは、ヒトラーを叩くべく、連合国が「被害者側」にしちゃった国でしょう。敵は少ない方がいいからね。戦中また戦後処理の段階で、連合国はオーストリアをドイツと切り離して考えようとし、オーストリア人にとっても、その方が都合がよかった。
『サウンド・オブ・ミュージック』がその典型ですね。でも、実際は、ヒトラー以上にユダヤ人迫害に熱心だった、という事実があります。新国立劇場で上演した小川絵梨子さんの演出版でもNTライブ版でも、観ていて「なるほど」と思いました。
中村)その新味な視点以外にも、今回の物語の描き方で狩野先生が「おお!」って思ったポイントがありますか?
狩野)5幕仕立ての、1899 / 1900 / 1924 / 1938 / 1955年という時代設定には、それぞれ重要な意味があるはずです。
1899 / 1900年はウィーン世紀末の古き良き時代。美しき青きドナウが流れ、クリムト、マーラーなどを輩出し、ハプスブルクの帝都が華やかだったころ。劇中ではグレートルの肖像画とクリムトの関係が小ネタで出てきたりします。
1924年は第一次大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国という多民族国家が崩壊し、ドイツ・ナショナリズムへ向かうターニング・ポイント。
日本人は原爆を落とされた第二次大戦が脳裏に焼きついて離れませんが、ヨーロッパで“先の大戦”というと、第二次大戦より第一次大戦なんですね。なにせ、ドイツ・ロシア・オーストリア・トルコという四大帝国が全部崩壊する。民族自決が謳われた時期。
で、多民族が当たり前だから、ユダヤ人への差別意識も比較的ゆるかった帝国時代に比べて、ドイツ系・アーリア系を優越視する全体主義の時代へ……
1938年は「水晶の夜」に代表されるユダヤ人迫害が本格化する年。
そして終幕、1955年は、連合軍による占領が終わって、オーストリアが再独立した年です。日本より再独立が遅いんですよね。それくらいヨーロッパ近世・近代史におけるハプスブルク帝国の存在は大きかったわけです。なにせ、全盛期は、ハプスブルクがヨーロッパの半分を版図におさめていたんですから。
この年代のキーとなる歴史情報がわかると、劇で描かれているシーンがより深みを増すと思います。
中村)なるほど。他に本作について、意識したらより楽しめるポイントはありますか?
狩野)トム・ストッパード劇の常ですが、情報量が多すぎて1回見ただけではわからない(笑)。でも、全部わからなくてもいい芝居なんだとも思います。
全てはラストのレオの「現在」につながります。コロナ禍のために、台本がだんだん短くなっていったと聞きましたが、短い方がこの芝居のテーマは浮き彫りになっている。四世代の家族年代記をゆったりと語る物語ではなく、現在が過去とつながっているということを示すのが、この芝居の“肝”なんでしょう。新国立劇場の小川絵梨子演出もそうなっていたけど、“ことばのバトル”で魅せるNTの舞台では、それが一層実感できました。
何も知らなかったレオが、自分の、「レオポルト」の「シュタット(町)」を知る物語なわけですね。レオポルトシュタットは、セリフにしか出てこないけど、終幕でその意味がわかる。やっぱり、レオの「現在」に対する意識が、作品のテーマだと思います。
中村)ありがとうございました。
ぜひまた他の作品でも気楽な感想と豆知識を教えてください。
(写真: Credit Marc Brenner)
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